■ 「開拓馬記念の像」「馬魂碑」3/4 2011年11月17日(木)

  「開拓馬記念の像」「馬魂碑」(美瑛町)3/4

もう一つ忘れてはならないのは
国防上の戦力として、日清・日露・大東亜の戦争に徴用され
従軍し、戦場の露と散った幾多の農耕馬があったことです

人馬一体となって美瑛町の繁栄をもたらした事実を
後世まで伝え永遠にその功績を称えることとした
とあります
 

■ 「開拓馬記念の像」「馬魂碑」(2/4 2011年11月16日(水)

  「開拓馬記念の像」「馬魂碑」(美瑛町)2/4

美瑛町が明治34年神楽村から分村独立した当時
戸数297戸に対して農耕馬は760頭でした

その後、昭和30年の2490頭をピークに農業の機械化により、農耕馬は減少の一途をたどります

省みると、美瑛町の基幹産業は農林業であり
農耕馬あってこそ
今日の発展があったものといえます
 

■ 「開拓馬記念の像」「馬魂碑」1/4 2011年11月15日(火)

  《番外編 この碑 なんの碑 気になる碑》
石碑を訪ねてみます。有名な碑・無名な碑・忘れられた碑など
それぞれ、それなりの謂れがあり建立した人々の想いがこめられています
これもまたこの地を知る一つの手掛かりかと…

「開拓馬記念の像」「馬魂碑」(美瑛町)1/4
この像は美瑛町から美瑛町役場に向かい
役場を通り越して程なくの丸山公園の中にあります

「開拓記念の像」
開拓記念の像の下には、開拓馬記念の像の由来が記してあります
 

■ JR中富良野駅 12/12 2011年11月14日(月)

  JR中富良野駅 12/12

中富良野町では、郷土館に長居をしてしまいました

まだまだ歩きたいところはあるのですが

またの機会ということで・・・・

次の駅 富良野駅に出発進行!です
 

■ JR中富良野駅 11/12 2011年11月12日(土)

  JR中富良野駅 11/12

中富良野町には津軽からの移住者も多く

災害を払い、豊かな実りと安全を願って

この地に津軽鹿獅子舞が復活しました


保存会もでき、昭和54年(1979年)無形民俗文化財に

指定されたということです
 

■ JR中富良野駅 10/12 2011年11月11日(金)

  JR中富良野駅 10/12

最後に、現在も実際にお祭りに使われているという津軽鹿獅子舞を紹介します
掲示してある文章を要約します

「津軽鹿獅子舞」は、青森県津軽地方で生まれた踊りで
その由来は、古代にさかのぼります
桓武天皇(かんむてんのう)の時代、津軽に侵略者が現れ
困った人々は、侵略者を退治しようと知恵を絞りました
鐘を鳴らし、松の枝を折り、笛を吹き、派手な衣裳でお祭りさわぎのように獅子舞をはじめ、この騒ぎを見ようと姿をあらわした侵略者を一気に捕えました
これが津軽獅子舞のはじまりだそうです
 

■ JR中富良野駅 9/12 2011年11月10日(木)

  JR中富良野駅 9/12

他にも実際に使われていた生活用品
蓑(みの)、背負子(しょいこ)をはじめ
NHKのテレビドラマ「おしん」に出てくるような
暮らしの世界が目の前にあります

紹介しきれない展示ものがまだまだあります
この展示室には、映像コーナーや昔の遊びの体験コーナーなど
実際見て触れて体験できるおもしろさがあります
 

■ JR中富良野駅 8/12 2011年11月09日(水)

  JR中富良野駅 8/12

ここで目を引いたのは、かつての農作業で、重要な役割を担ってくれた農耕馬の蹄鉄に関して詳しい展示がなされていることです
説明文によると、現在の蹄鉄は古代ギリシャの墓地から発見された馬蹄形の鉄片にヒントを得てドイツ人が発明し、明治3年に浅見浅吉という日本人がドイツ留学し、ドイツ式の蹄鉄術を伝えたそうです
その昔は馬用のワラジなどもあったそうです
中富良野でも主に農耕馬のために蹄鉄業が盛んで蹄を保護するだけでなく
使役の目的や病気などに役立っていたということです

また一つウンチク話が増えました