■ 「小田観螢歌碑」 1/2 2011年10月17日(月)

  《この碑 なんの碑 気になる碑》

「小田観螢歌碑」(富良野市鳥沼)1/2

小田観螢は、明治42年から下富良野尋常小学校に
教員として赴任し
大正5年には鳥沼尋常小学校の訓導兼校長となり
小樽に転任するまでの17年間
富良野で短歌の創作活動をしました

鳥沼小学校、富良野小学校、富良野東中学校、富良野高校などの校歌の作詞も手掛けました
 

■ 「空知川顕彰碑」「斉藤文承歌碑」「佐藤茳村歌碑」 2011年10月14日(金)

  「空知川顕彰碑」「斉藤文承歌碑」「佐藤茳村歌碑」

この項の終わりに建碑趣意に書かれていた
徳富蘆花の「みみずのたわごと」の一節を
そっくり書き起こしてきたので紹介します

「下富良野で青い十勝岳を仰ぐ
汽車はいよいよ夕張と背合わせの山路に入って
空知川の上流に添って遡る砂
白く水は玉よりも緑である」

空知川は富良野の「母なる川」だと
あらためて感じさせられました。
 

■ 佐藤茳村歌碑 2011年10月13日(木)

  「佐藤茳村歌碑」(富良野市北の峰町)

この碑は二つの碑より、ちょっと奥まったところに
静かに建っています

“紅葉の葉 
 水に浮きゐて 
 川底の真砂に
 何を問いかくるらん“

崩した文字はなかなか判読ができませんでした
石碑の建つこの地は佐藤茳氏が寄付と自衛隊の協力と一般寄付募集により「石公園」として造成されたといいます(富良野事典参照)
 

■ 斉藤文承歌碑 2011年10月06日(木)

  「斉藤文承歌碑」


顕彰碑の隣の歌碑です。

“ふるさとの 空知の川に 抱かれし
石は 時世を経て 光あり“   文承

かつて「石ブーム」というのがあって
我が家でも父親が丹念に磨き上げた石が
玄関の下駄箱の上に飾られていた記憶があります
愛石家にとっては、
空知川は名石の宝庫だったのがうかがえます
 

■ 「空知川顕彰碑」 2/2 2011年10月05日(水)

  「空知川顕彰碑」(富良野市 北の峰)2/2

その脇に「石のふるさと空知川」とあり
空知川に関する石碑が置かれていて
その建碑趣意を掲げた立札があります

趣意の末尾には、昭和50年9月20日 
北海道中央水石会と記されています。

愛石家の母なる川の石を思う心が
空知川顕彰碑の建立という形になったと読み取れました。
 

■ 「空知川顕彰碑」1/2 2011年10月04日(火)

  石碑を訪ねてみます。有名な碑・無名な碑・忘れられた碑など
それぞれ、それなりの謂れがあり建立した人々の想いがこめられています
これもまたこの地を知る一つの手掛かりかと…

《この碑 なんの碑 気になる碑》
「空知川顕彰碑」「斉藤文承歌碑」「佐藤茳村歌碑」

「空知川顕彰碑」(富良野市 北の峰)1/2

富良野市から芦別に向かい空知川にかかる新空知橋を渡って
すぐ左手に、富良野芦別道立自然公園の表示板があります
 

■ 「峠下茶屋之跡」石碑 2/2 2011年09月29日(木)

  「峠下茶屋之跡」石碑(占冠村) 2/2

(前文略)さて、もう一軒は初め岩崎某が始めたもので、この茶屋は「峠の茶屋のおにばば」でゆうめいだった。
このおにばばの顔を見ると国土病の「おこり」が落ちるという有名な話がある。「おにばば」という名をもらったのは「ほうずき」を盗んだ子どもを叱った時その子どもが「おにばば」という名をつけてしまった。
双珠別のある事件で検事が来村した時「おにばばの茶屋に憩いて渋茶のむ」という句を残したことから更に有名になり・・・(後略) 

ちょっと詳細を調べてみたいよう面白い話です
 

■ 峠下茶屋之跡石碑1/2 2011年09月27日(火)

  「峠下茶屋之跡」石碑(占冠村) 1/2

この碑は金山と占冠を結ぶ金山峠の国道沿いに
ひっそりと建っています
車で走っていると見逃してしまうかもしれません

ここには「おにばば」が茶屋を開いていたという
言い伝えがあるのです

この碑の横にある立て看板を読んでみます