■ JR富良野線 上富良野駅 4/10 2011年08月26日(金)

  JR富良野線 上富良野(かみふらの)駅 4/10

さて、「上富良野町は北海道の中心部大雪山系十勝岳連峰の西側に位置し、雄大な十勝岳と丘陵田園の景観が美しい、農業と観光のまちです」

ということで、その景観を楽しむべく、見晴台公園をめざします

駅を出て国道237号線に向かって歩きます
緩やかではありますが、結構な上り坂です

見晴台公園というぐらいですから、高台にあり
国道237号線にぶつかる手前にその看板は有ります

上富良野駅から徒歩12分:見晴台公園です
 

■ JR富良野線 上富良野駅 3/10 2011年08月23日(火)

  JR富良野線 上富良野(かみふら)駅 3/10

このこだわりの飼育法が、おいしくて健康な豚を育て、
中でも「豚さがり」(横隔膜のハラミと呼ばれる部位)は、
ジューシーで美味と評判の上富良野町の特産物です。

確かにおいしいです
ただ、ジューシーという表現は正直よくわかりませんでした

食べ物の味覚は十人十色、千差万別
まずい文章では、食べ物のおいしさを的確には表現することなどできませんので、
ぜひ、ぜひ実際に、この地で口にすることをお薦めします
 

■ JR富良野線 上富良野駅 2/10 2011年08月22日(月)

  JR富良野線 上富良野(かみふら)駅 2/10

駅を出て、駅周辺の商店街を歩いてみます
精肉屋さんの店の前に「元祖 豚さがり」という、
のぼりが目につきました
意識して街中を歩くと、焼肉屋さん、精肉屋さんが、短い距離の中多いような気がします

上富良野町産の豚肉は「かみふらのポーク」として、大変おいしいのです
なんでも「地養素」という木酢液の入った飼料を食べて、ストレスが少ない状態で、育つとか
 

■ JR富良野線 上富良野駅 1/10 2011年08月19日(金)

  ○○駅から徒歩○分 
不動産の広告「駅まで何分」というのを見て、フッと思いました そう、かつてのボクらの社会生活では、通学・通勤・買い物と、人の流れと物流の起点は駅でした車社会の今、ちょっとだけ立ち止まって、駅から眺める風景に、もしかしたら、その街(集落)の在り様がみえるのかもしれません そんな想いで、このレポートを始めます ほんの少しだけでも、この地域の居住まいの様子を知る手助けになればと、思います

JR富良野線 上富良野(かみふら)駅 1/10

上富良野駅です。 開駅 明治33年11月15日
【駅名由来】富良野川の上流にあたるので「上」をつけたということです
富良野駅から20分  運賃は350円
 

■ 「田中常次郎頌功碑2/2 2011年08月18日(木)

  「田中常次郎頌功碑」(上富良野町)2/2

この碑の説明案内板には
“上富良野の開拓の父、田中常次郎とその一行の三重団体は、明治30年4月12日上富良野に入植した。
その後、移住者の苦労あって、三重団体は上富良野で最も早く、
最も生産力の高い水田地帯として、農村部落を形成していった。
この碑は、三重団体の事業を永遠に伝えるため建立され、
碑身の台石には、三重団体組織総代田中常次郎君と刻まれている”

とあります。大正5年8月の建立ということで刻まれている文字の判読はかなりむずかしくなっています。
 

■ 田中常次郎頌功碑 1/2 2011年08月17日(水)

  《この碑 なんの碑 気になる碑》

「田中常次郎頌功碑」(上富良野町)1/2

番外編の第1回(2011年7月15日)で取り上げた
「憩の楡の碑」でご紹介した「楡の木の下で休んだ」
三重県からの入植者の団体の代表である
田中常次郎の碑です。

その碑は、開拓記念館への駐車場入り口付近に、
何とも懐かしい二宮金次郎の像の隣にあります。
 

■ 「追善記念碑」(上富良野町)3/3 2011年08月15日(月)

  「追善記念碑」(上富良野町)3/3

馬25頭のほか、牛3頭、豚10頭、鶏603羽、兎3羽が、
泥流に呑込まれたともいわれています。
この碑の横にある赤い屋根の小さなお堂には
三面石仏の馬頭観音が安置されているということです。
十勝岳の爆発にかかわる碑は、上富良野町を中心に数多くみられます。

いかに大変な出来事であったか、
簡単に、軽々しく取り上げてはいけないのかもしれませんね。
 

■ 「追善記念碑」(上富良野町)2/3 2011年08月12日(金)

  「追善記念碑」(上富良野町)2/3

この碑の前にはこういう掲示があります。

“上富良野町は農耕・軍用馬の産地であったが、

大正15年の十勝岳爆発により、人間と共に働いてきた馬25頭や

大切な財産であった牛や豚など多くの家畜も犠牲になった 

これらの家畜を供養するために伊藤七郎右衛門、伊藤藤太郎他

76名の飼主・牛馬商・村内の有志によって建立された”