北海道大学第八農場山部成墾記念碑 北海道大学第八農場富良野成墾記念碑 |
取材日 2012年10月2日(火)ほか |
新天地への移住と開拓 | ||
山部成墾記念碑 1909年(明治42年)6月建立/富良野成墾記念碑 1930年(明治42年)7月建立 富良野市域の開拓地は、資本家による大農場と札幌農学校付属第八農場(のちの北海道大学)・東京帝国大学農科大学演習林(現在の東京大学演習林)のような大学付属農地によって大部分が占有され、小資本の自作農地はわずかばかりでした。そのため富良野へ移住してきた多くの移民たちは、大農場の小作人として土地を借り受けて、開墾するしかありませんでした。 入植当時の思い出が市開庁100年史に掲載されています。 「畑をつくるのにはまず立木を倒して小切りにし、刈り倒した笹を山と積み、これに火をつけて焼くことが初の仕事であった。(~中略~)その他は大木であっても皆6、7尺に切って山と積み重ねこれを焼きながら開墾したのである」(佐々木広吉「学田三区郷土史 空知川とともに」) 第八農場は、富良野市街地周辺の学田一区~五区と山部全域に及ぶ広大な農場でした。1908年(明治41年)当時の第八農場へは徳島県から98戸、富山県から89戸、福島県から64戸、福井県から61戸の移住者で占められていました。第八農場の開拓がほぼ完了したことを記念して小作人たちにより建てられた開墾碑が下五区天満宮と山部神社に1909年に建てられ、2003年(平成15年)12月22日、市の指定文化財に指定されました。市の開拓の歴史を物語る貴重な石碑です。 |
||