ふらびズムpeople 笠倉要一さん | 取材日 2014年3月6日(木) 取材地 暮しステーション |
定年後の生き方を富良野で考える | ||
笠倉さんは、埼玉からご夫妻で移住されてきました。定年後に北海道で移住をしよう。そう決めてから、毎年のように富良野に来て移住先を探し歩きましたが、それ自体が、夢を追いかけている楽しい時間だったそうです。けれど、移住には、クリアしなければならないことが現実的にあります。最大の問題は移住の場所。笠倉さんは、友人となった富良野の人から旧教員住宅が一般公募で競売されることを知りました。古いけれど、土地面積が460坪で、広い畑もあります。「野菜を作り、花を植え、魚釣りをし、子供や孫が来ても泊まれる家がある。こんな理想的な土地は他には無い」と、現地に出向いて一目で気に入り、思いが通じたのか、落札することが出来ました。しかし、完全に移住するまでは、これがスタート。目標を2年後と決めて、埼玉の生活の始末や新居のリフォームなど、いろいろな課題をクリアし、ついに2009年10月、東山に移住することができました。 笠倉さんご夫婦が、まず行ったことは近所の方々をランチに招くこと。毎日1家族とお話をしながら、地域の冬の準備、畑の土、ビニールハウス、トラクターの運転を学んでいったそうです。 移住後、約5年。笠倉さんには、富良野でたくさんの出来事がありました。東山の野菜の直売場の店長として地域の地産地消を促進する取組みを夏期に行っています。また人生90年時代にお互いを支え合う制度「市民後見人」を学び実施する「市民後見センターふらの」の事務局長となりました。奥様も、大好きな料理の腕を活かし、市内でコミュニティカフェを手伝うなどご夫妻ともども忙しくも充実した日々を送っています。 富良野に移住したら「畑を耕し、釣りをして、本を読む日々」を想像したいたそうですが、現役時代と同じような忙しい生活の様子です。しかし、定年後の居場所や生きがいが見つかり、日々への感謝を怠りません。 笠倉さんの富良野での充実した日々は、偶然ではなく、今までに培った経験やノウハウを活かし、ご自分たちで切り拓いた結果であると取材を通じ感じました。 |
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