~前半・Uターンからのまちづくり~
生まれも育ちも富良野。そして、起業した会社名が「オフィスフラノ」…と、すべてが「オール富良野」な小田島忠弘さん。しかし大学時代は、東京で暮らし、しばらく東京のアパレルメーカーに就職されていたそうです。そんな小田島さんが東京からUターンして来た時、故郷の富良野は、TVドラマ「北の国から」の舞台として、全国に名前をとどろかせ始めた時でもありました。当時の富良野は、富良野青年会議所の若者たちが、まちづくりに向けてのさまざま活動を行っていたそうです。富良野に住む大学の先輩から誘われて、小田島さんは「富良野のまちづくり」の一員となりました。
「東京から戻って、誘われるままに青年会議所(JC)に入った時、『まちづくりの活動』がメインだったのに驚きました。JCの先輩や仲間たちと共に、富良野で何かを始めようという機運が高まっていたのです。当時『北の国から』の連続ドラマシリーズの放映が終わり、無名だった富良野に、観光客が訪れるようになっていました。」と語る小田島さん。
それから暫くして「富良野と富良野ファンのパイプ役になりたい」と、富良野のオリジナル商品を企画・販売する会社「オフィスフラノ」を立ち上げたのが、1983年(昭和58)年のことでした。
「当時は、『まちおこし』的な感じのスタートでした。」と語る小田島さん。観光拠点の「麓郷の森」を管理・運営することにもなりました。
「劇中の『丸太小屋』がTVに出た後、観光客が富良野にどんどん来るようになってきました。そこで、倉本聰先生と懇意にされているJCの先輩が中心となり、『丸太小屋を守る会』ができたのです。」
それから、「丸太小屋」は、当初置かれていた場所から麓郷に移築され、その管理をオフォスフラノがすることになったそうです。「黒板五郎の丸太小屋」を中心に、オリジナルグッズや、写真展示棟、喫茶などが森の中に点在し、その場所は、丸太小屋を中心に「麓郷の森」と名付けられました。訪れた人は、ドラマの空気感を体感できるスポットとなり、富良野の観光拠点の一つとなって行きます。1983年に開設されてから、30年以上の歳月が流れました。
その間に小田島さんたちは、「何か面白いことをやりたい」と、仲間たちとミニコミ誌「フロム・ノースランド・ウィズ・ラブ」=「『北の国から』愛を込めて」を発刊するなど、地元富良野の「まちづくり、まちおこし」活動にまい進して来ました。
後半は、Uターンして、60歳を超えた小田島さんの「富良野と富良野ファンのパイプ役」の現在の取組を取材しました。
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