ふらびズム

 
ふらびズムpeople 多屋純子さん

取材日 2013年12月9日(月)
取材地 なかふらの保育園

あっという間の30年。どこにいても生活を楽しむ

 多屋純子さんは、中富良野町にあるお寺の坊守(=住職の奥様)さんです。同時に社会福祉法人である保育園の園長として忙しい毎日を送られています。移住歴約30年。この地に住む年月が、人生の大半を占めるベテランに、この地域への移住についてお聞きしました。

 京都出身の純子さんは、約30年前に、京都の学校で学んでいたご主人と出会いました。ご主人の実家が中富良野町のお寺だったので、結婚を決意することは、移住する道を選ぶことでもありました。それまで京都以外で暮らしたことのない純子さん。当時、TVドラマ「北の国から」が放映されていたものの、このあたりの地名は、まだ全国に知られていませんでした。初めて中富良野町に来た印象をお聞きすると、「何もないところと思っていたのに、家もスーパーもあり、同じ日本なのだと思いました」と、移住の不安はそれほどなかったと答えてくれました。

 それまで北海道に縁はなく、寺という職業とも無関係。家族の心配をよそに、純子さんの中富良野町での生活が始まりました。寺は、隣接地に保育園を建て地域の乳幼児を保護者に代わり保育する仕事もしています。保育園の歴史は古く、1937年(昭和12年)に農繁期の季節託児所が開設され現在に至ります。現在、園長となった純子さんに園内を案内していただきました。2004年(平成16年)に、新築されたその建物は、デザイン性が高く雰囲気もユニークで居心地が良く、子どもたちが伸び伸びと過ごすための機能美が随所に溢れています。

 新築にあたって、「小学校の造りの小さい建物ではなく、保育園は子どもが共に育っていく大きい家であって欲しい。そして心が休まり、安心して、保育士さんと信頼関係を築く場所であるようにと、設計士さんと話し合いました。ドイツ、ハンガリーなどの外国、日本中の保育園、幼児の施設50以上を見学し、考えた末にこの建物になりました」と、その熱意を語ってくれました。

 約30年前、全国にその名を知られていなかった富良野とその近辺。現在、純子さんが、他地域の研修先などで「富良野から来ました」と自己紹介すると、すぐに「ラベンダーがあるところですね」と言われ、さらに「近くに花畑があり、子どもたちのお散歩コースです」と答えると拍手が起こる、と嬉しそうな純子さんです。その30年は、富良野近辺の知名度と共に激動の日々だったに違いありません。そう思い、移住希望者へのメッセージを伺うと、「どこに生活していても、そこの生活を楽しくどうやって幸せを感じるかが大事です」と、語ってくれました。

 取材をしたこの日は、園内に併設している子育て支援センターを利用する親子の明るい声が素敵な施設に響きわたり、純子さんの笑顔が子どもたちを迎えていました。

「ひと」の動画記事一覧はこちら

「沿線」の動画記事一覧はこちら