プロレタリア作家小林多喜二の小説「不在地主」のモデルになったのが、 大正末期から昭和2年にかけて起きた北大沼の磯野農場小作争議です。
第1次世界大戦の戦後恐慌により、農村部の生活は疲弊を極め、農家の経営は破たん寸前でした。このころから全国的に小作争議が起こりました。富良野でも、米価の下落が続いたことから、小作が地主に小作料の軽減を要求しました。 しかし、地主はさらに小作料を引き上げるという暴挙に出たことから争議に発展してきました。
磯野農場は小樽の米穀海産問屋を経営していた地主の所有で、30戸余りの小作に寄生した典型的な不在地主でした。富良野の小作人たちは、争議団を結成して、地主のいる小樽まで乗り込み、小樽合同労働組合の援護を受けて勝利しました。このような世相を反映して、その後、全国的に御料地などの払い下げが政府主導で進められたのです。
農魂之碑は、磯野農場小作争議60周年と磯野農場町有地解放45周年を記念して建立されました。(資料提供 富良野市生涯学習センター)
取材日:2012年12月3日(月)