兜谷徳平(かぶとや とくべい1852-1925)は石川県金沢市で出生しました。富山砺波郡薮並村の村長に就任しましたが、1895年(明治28年)に北海道移住を決意。胆振国千歳郡の農場事務に従事後、1915年(大正4年)下富良野村(今の富良野市)の村会議員となりました。 当時、下富良野村の北部から中富良野村は、広大な湿地帯地で、開拓が思うように進みませんでした。そこで、兜谷徳平が中心となって泥炭地に排水溝を整備する事業を始めました。2つの川を合流させ、排水溝を掘り、富良野川に流す壮大な計画に、誰もが実現できるとは思わなかった排水溝を1919年(大正8年)に完成させました。
さらに、農業用水を富良野盆地のすみずみまで引けるように用水確保に取り組みました。空知川を水源として川の流れと逆方向に水を流す計画だったため、またも、誰もが不可能と考えたのです。しかし、兜谷徳平は「富良野用水土功組合」を組織し2年間費やして用水路を完成させ、その結果、富良野盆地は見渡す限りの水田地帯となったのです。 不毛の泥炭地の開発を行った富良野原野開発の父として、兜谷徳平の偉大な功績をたたえ1939年(昭和13年)、富良野市朝日ヶ丘公園に胸像が建立されました。(資料提供 富良野市生涯学習センター)
取材日:2012年10月3日(水)